俳優・西田敏行(にしだ としゆき)さんと言えばマルチな役をこなす演技派・超大物俳優の一人。
西田敏行さんにはどんな生い立ちがあるのか調べたところ、西田さんは5歳の時に父親が亡くなり、その後お母さんの姉夫婦に育てられたという驚きの過去がありました。
お子さんが養子なのではという噂がありますがそれはデマで、西田さんご本人が養子だったんですね。
西田さんの優しいお父さん役から、裏の顔を持つギャングの役まで幅広い演技で魅了する所以は、壮絶な生い立ちにあると言えそうです。
今回は西田敏行さんの生い立ちを詳しく見ていきます。
西田敏行は妻と別居していたの?亡くなった時妻がどこにいたのか気になる…!
西田敏行│実の両親と養父母について【家族構成】
西田敏行さんは5歳の時に実の父親を病気で亡くしています。
兄弟はいませんでした。
しかしその後、母親は再婚。
父親違いの兄弟がいることはわかっていますが、性別や年齢などは情報がありませんでした。
家庭環境はちょっと複雑ね・・・。
西田さんは実母が再婚する際、母親の姉である伯母夫婦の養子になっています。
西田さんには実の両親と、養父母の4人の親がいるということになりますね。
一人ずつどんな親御さんだったか見ていきましょう
①【実父】は今井泉!先祖は和泉国伯太藩家老
西田敏行さんの実の父親は今井泉さん。
父・泉さんの出身は大阪府で、祖先は和泉国伯太藩(大阪府和泉市)の家老職を務めてきた今井家であったということです。
由緒ある家柄出身だったのね
泉さんは西田さんの実母・紀惠さんとは再婚で、最初の奥様は他界しています。
泉さんが福島県郡山市の貯金局に転勤となった際、紀惠さんと出会い、西田敏行さんが生まれています。
泉さんは52歳、紀惠さんは21歳で31歳も離れた年の差婚でした。
【実母】紀惠は美容師
西田敏行さんの実母は今井紀惠さん。
福島県郡山市で泉さんと出会い結婚しましたがすぐに泉さんは他界してしまいます。
女手一つで西田さんを育てるために美容師として開業し、働きましたがその後再婚しています。
【養父】西田辰治の祖先は薩摩藩士
西田敏行さんの養父となった西田辰治さんは、島津家に仕えた薩摩藩士の末裔でした。
2017年・NHKで放送されたファミリーヒストリーに西田さんが出演し、調べて分かったことで、西田さんは養父の口から聞いたことはなかったそうです。
養父・辰治さんは西田さんが幼いころから映画館に連れていってくれました。
西田さんが俳優になる原点はここにあったのね
【養母】美代は実母・紀惠の姉
西田さんの養母は実のお母さんの姉で西田美代さん。
美代さん夫妻は自分たちの娘を伝染病でなくしており、自分たちから西田さんを育てたいと申し出てくれました。
西田さんの俳優になる夢も応援してくれた優しい養父母だったようですね!
西田敏行の生い立ちが壮絶!5歳で父親と死別していた
西田敏行さんは福島県郡山市で生まれました。
前述した通り5歳でお父さんが亡くなってしまいます。
5歳で父と死別
西田敏行さんが5歳の時に実父・今井泉さんが57歳で亡くなりました。
はっきりとした死因は情報がありませんでしたが、病気の可能性が高いです。
泉さんは貯金局で働いていたため宿舎で家族3人で暮らしていましたが、他界後は宿舎を出て、お母さんは美容院を開業しています。
いつまでも宿舎にはいられないものね
お母さんも若くして夫を亡くし、大変だったことでしょう。
実母の再婚
西田さんのお母さんは、お父さんが亡くなった時は26歳とまだお若かったこともあり、すぐに再婚されました。
しかし、当初は再婚相手に西田さんと同じくらいの息子さんがいたため、再婚話がうまくいかず悩んでいたのです。
跡取りの問題など、昔は厳しかったからね
そんな西田さんのお母さんに手を差し伸べたのが姉の美代さんでした
美代さん夫婦には娘さんがいましたが、伝染病で亡くなっていて、西田さんを養子にもらいたいと申し出てくれたのです。
実母の姉・伯母さん夫婦の養子になる
西田さんは、養子になった当時を振り返り、
おばちゃんちにしばらく暮らす感じだった
と語っています。
やはりすぐには養父母を両親と思うことは難しかったかもしれませんよね。
更にお母さんが自分から離れて知らない男の人と結婚し、ましてや同い年の男の子のママになるという現実は
相当なものだったと推測できますよね。
複雑な心境だったんじゃないかな
しかし、養父母はとても愛情をもって西田さんを育て上げたため、後に西田さんは養父母へはとても感謝していると涙ながらに語っています。
素敵な養父母の元で過ごせたことが何より良かったと思わずにはいられません。
俳優を目指したきっかけとは?
養父母の家庭は裕福ではなかったため、神社の社務所に家族で住まわせてもらっていました。
しかし、養父母は西田さんに愛情をもって接します。
養父は西田さんが小学生のころから土曜日になると映画館へ連れて行ってくれたと、当時の思い出を西田さんは2011年10月のインタビュー記事で語っていました。
父が地方公務員で、土曜ははんどんで帰ってきて、学校から僕が帰ってくる頃に合流してですね、“映画行くかと”という感じで、父の自転車の後ろに乗り街まで行って映画を見ました。
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きっと映画好きのお父さんだったのかもしれませんが、この時の経験はとても貴重なものだったと言えるでしょう。
スゴイ英才教育!
この時から西田さんは俳優になりたいと夢見るようになるのです。
お父さんを亡くし、お母さんと離れて暮らすことになった西田さん。
はたから見たら壮絶な幼少期をすごしたと思われますが、
この、父の死→母の再婚→養子縁組の複雑な生い立ちが、後に俳優「西田敏行」を作り上げたと思うと、
西田さんの人生になくてはならない重要な出来事であったと断言できますよね。
養子に出ていなかったら、俳優になっていなかったかも・・・!
西田敏行の学生時代は?演劇の道を志し高校で上京
少年時代から俳優になりたいと夢を語っていた西田さんは、中学校で演劇に興味を持ちますが、女性部員が多く、入部は断念。
悶々とした中学時代を過ごします。
そして中学卒業と同時に上京を決意します。
上京した理由は標準語をしゃべれるようになるためでした。
映画を見るときれいな言葉をしゃべっているなと、標準語というか、東京弁がいいなという風に聞こえてきて、“俺このままずっとこの多感な時期こっちで暮らしていると、福島弁が染みついちゃって、もしかしたら標準語をしゃべれなくなっちゃうんじゃないか”という妙な子供なりに考える危機感みたいなものを感じて―
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上京したいと養父母を説得し、西田さんは高校から上京することになるのです。
西田さんの学歴は以下の通り。
高校→明治大学付属中野高校
大学→明治大学農学部(中退)
明治大学付属中野高校は偏差値が70の名門校。
西田さんは成績もトップクラスだったことがうかがえますね。
明治大学入学と同時に日本演技アカデミー夜間部に入学しています。
やはり、俳優への道を進もうと決意したのでしょう。
結局明治大学は中退。
日本演技アカデミー昼間部に変更しています。
そして西田さんは1967年、20歳のころに、「渥美清の泣いてたまるか」で俳優としてデビューしています。
西田敏行の成功を支えた妻・寿子さんとの出会い
1968年、西田さんは21歳で青年座俳優養成所に入り、2年後に卒業。青年座座員となります。
そして研修生で青年座に入ってきた妻・寿子さんと出会います。
一目ぼれした西田さんは寿子さんに猛アプローチし、1971年、西田さん24歳、寿子さん21歳で結婚。
当初は寿子さんが女優の夢をあきらめバイトを掛け持ちし、家計を支えていました。
西田さんの才能を信じていたのね!
その後5年ほど西田さんは不遇の時期を過ごしますが、その後ご存じの通り俳優としての活躍はうなぎ上りに上昇。
1977年『特捜最前線』(テレビ朝日)
1978年『西遊記』(日本テレビ)
1980年『池中玄太80キロ』(日本テレビ)→主演
『サンキュー先生』(テレビ朝日)→主演
1981年(昭和56年)にもNHK大河ドラマ『おんな太閤記』で準主役
などを務めるようになります。
歌手やバラエティでも大活躍だたわね
その間プライベートでは2人の娘さんが生まれています。
西田敏行プロフィール
【訃報】俳優の西田敏行さん死去 76歳https://t.co/pJZglZvJOC
— ライブドアニュース (@livedoornews) October 17, 2024
主な出演作はドラマ『西遊記』『池中玄太80キロ』、映画『敦煌』『ゲロッパ!』など。『釣りバカ日誌』シリーズは1988~09年まで22作に主演。歌手として「もしもピアノが弾けたなら」などでNHK紅白歌合戦に4回出場。08年紫綬褒章受章。 pic.twitter.com/2y4zU6Deva
本名 西田 敏行(にしだ としゆき)
生年月日 1947年11月4日
出身地:福島県郡山市
身長 166 cm
血液型 B型
職業 俳優、歌手、タレント、司会者
2024年10月17日に76歳で亡くなられました。
ご冥福をお祈りいたします。
まとめ:西田敏行の壮絶な生い立ちが与えた影響
俳優、西田敏行さんの壮絶な生い立ちについてまとめました。
幼くして父親を亡くし、5歳で実母から離れて伯母さんの養子となった出来事は、西田さんにとってはやはり複雑であったことに違いありません。
養父母にも涙で感謝し、辛かった思い出を語ることはありませんが、
ご本人が言葉にしなくても、想像できない葛藤や不安や迷いがあったことでしょう。
しかし、俳優になる夢を快く後押ししてくれた養父母からは底知れない愛情が注がれていたことも事実。
常に人の顔色を見て絶妙で心地よい言葉がけをしてみんなを笑顔にする西田さんの独特な性格は、
複雑な生い立ちが関係していたと思うとすんなり納得できるような気がします。
西田さんの笑顔の裏には何かさみしさを感じたりする人も多かったのではないでしょうか。
その独特な雰囲気が西田さんの演技に大きく影響し、見る人の心を大きく揺さぶることもありました。
壮絶と思われる生い立ちも、西田さんの俳優人生においてなくてはならない出来事だったと言えるのではないでしょうか。
西田敏行が奥さんと別居ってホント?